パルティータ(Partita)はイタリア語で、本来は変奏曲を意味したようです。ドイツでも17世紀にはパルティータは変奏曲と同義に使われていたそうです。ところが18世紀に入りますとドイツではパルティータは組曲に近い意味に変化していきました。変奏曲(Variation:英語表記)がある程度高い独立性を持った楽章で構成されるのに比して、組曲(Suite:英語表記)は各楽章が小規模の舞曲によって大きな独立性を持たずに連続的な展開を行う点など、その特徴の違いがあります。パルティータでは作品の展開にそれぞれの舞曲の特徴と変奏の原理を取り入れているといわれます。後世の管弦楽組曲とはまったく異なる楽曲様式です。
それでは、パルティータ(Paetita)と組曲(Suite)はどう違うのでしょうか。バロック組曲を完成させたのは、チェンバロ奏者で作曲家でもあったフローベルガーであるといわれています。フローベルガーは同じ調性を持つ舞曲を、巻頭に前奏曲を置き、一定の整合性の元にそれこそ組み合わせることによって、組曲という音楽形式を確立したようです。このフローベルガーの組曲の考え方をバッハも踏襲しています。簡単に言うと、舞曲の構成の整合性が厳密にくみ上げられている楽曲を組曲といい、緩やかなものや挿入的なものをパルティータと呼んでいると考えてよいと思います。バッハには有名な「イギリス組曲」「フランス組曲」などのチェンバロによる独奏曲があり「組曲」と呼称されています。
バッハの「鍵盤楽器のためのパルティータ」は6つの楽章から構成され、それぞれの楽章が6〜7の小曲で成立しています。その小曲群はアルマンド/クーラント/サラバンド/ジーグといった舞曲を中心に組み合わされています。しかし「鍵盤楽器のためのパルティータ」では既述の通り「イギリス組曲」「フランス組曲」と比してより自由な構成になっています。「イギリス組曲」「フランス組曲」は楽章の第一曲目には必ず前奏曲がおかれ、以下はすべて舞曲によって組み立てられています。しかし「鍵盤楽器のためのパルティータ」では楽章ごとの第一曲目は前奏曲、シンフォニア、幻想曲、序曲、前奏曲、トッカータと自由度の高い選択が行われ、つづく小曲群にもアルマンド/クーラント/サラバンド/ジーグといった舞曲ではないスケルツォ、ブルレスカ、カプリッチョ、アリア、エアなどの小曲が採用されています。バッハの創造力が組曲の概念を押し広げて、より自由な新たな展開を見せていると考えることができると思います。
ちょっと違った観点からの考察ですが、バッハの時代「6」という数字はかなり重要な意味を持っていたように思われます。この「鍵盤楽器のためのパルティータ」も6つの楽章で楽曲が構成されておりますが、他の組曲においてもこの原理は踏襲されております。時代的には少し早いのですが10年余の時間的な重なりをもって生きた、松尾芭蕉が完成した連句の「歌仙」様式は、6句の詩句を基幹に編集され36句をもって終尾する形式を取っております。また日本絵画における一形式である六局一双の屏風様式にも6という数字が絡んでいます。6という数字はある時期、洋の東西を問わず芸術的創造性に強い影響力をもっていたことが想像されます。
本来「鍵盤楽器のためのパルティータ」は今日のピアノを想定して作曲された楽曲ではありません。しかしバッハの芸術的な視座は、パースペクティブに未来を捉えきっていたかのように、現代のピアノによる「鍵盤楽器のためのパルティータ」の演奏はその適合性を感じさせます。グレン・グールドはいまさら申し上げるまでもなく、バッハ音楽の現代的な具現者でありますが、その演奏はバッハにおける現代音楽表現の精華ということができるでしょう。グールドの高いテンションと高度な質感に満ちた緊張感から離れ、もっとロマンティクなバッハを聞きたいという方には、リチャード・グート盤をお薦めします。2・4・5楽章の演奏です。本来のチェンバロによるパルティータをという方にはクリストフ・ルセ盤が素晴らしく、感動的です。ルセはフランス人アーティストとしてのエスプリに満ちたバッハを、古楽器を現代的な感覚で見事に操ることによって創造しています。そして最後に第一楽章だけですが、是非お薦めしたいのが夭折の天才ディヌ・リパッティのブザンソン音楽祭における告別演奏です。この稀有の天才ピアニストが自らの死を賭して歌い上げる清廉なるパルティータは、何人の胸をも揺さぶらずにはおかないでしょう。時にリパッティ33歳。その死の半年前のことでした。