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“This is how I think about Marketing”はクイシー・ジョーンズの“This is how I feel about Jazz”から題名の発想を借りました。“This is how I feel about Jazz”は天才Jazz menの名を欲しいままにし、またアレンジャーとして、名プロデューサーとしても偉大な業績を残しているクイーシー・ジョーンズの初リーダー・アルバムとしてJazz史にその名を刻する名盤です。残念ながら天才Marketerではない僕は、おそらく、というよりもマーケティング史に残るコラム集を書き上げる可能性は完璧にありません。むしろ気楽な発想で、もうすぐ25年になろうとするマーケティングへの想いについて「私の考えるマーケティング」としてお話したいと思います。気楽な発想で書くつもりですが、内容は僕なりに考えてきたマーケティングへの想いですから、それなりに真剣な側面ものあるかもしれません。それではマーケティングの歴史を垣間見ながら「私の考えるマーケティング」について書き始めようと思います。
前世紀初頭に誕生した「マーケティング」と呼ばれる新しい社会科学は、20世紀経済社会の発展と変容の中で、大きく発達し多様な変遷を遂げてきました。人類が石油と電力という新しい熱エネルギー源とその供給システムを手に入れ、その実用化に成功したのは19世紀末から20世紀初頭においてのことでした。そして、このエネルギー革命は、人類に飛躍的な生産力の上昇をもたらしたのです。そのことを今私たちは、地球の人口増加の規模で知ることができます。石炭と蒸気機関による熱エネルギーの動力化により産業革命を推進し、近代経済社会を確立して経済学を生誕させた19世紀100年間の地球人口の増加は、9億人から16億人に過ぎませんでした。これに比べ20世紀は、16億人から63億人へと人口爆発といっても過言ではない人口の増加を遂げたのです。この人口増加を一に熱エネルギーの革命的な発展に帰すことは、やや乱暴な議論かも知れません。しかし石油と電力によるエネルギー革命が、地球上の産業的な生産性を飛躍的に上昇させ、そのことが地球の人口を増大させるひとつの大きな要因となったことは否定できないでしょう。そして、この産業的な生産性の飛躍的な上昇は、20世紀の初頭に「マーケティング」と呼ばれる新しい実用の学を誕生させたのです。1875年以降ほぼ10年周期の景気の変動(生産過剰による景気の落ち込み)を繰り返しながら、アメリカ合衆国の市場経済は順調に発展していきました。しかしながら、19世紀末から20世紀初頭の熱エネルギー革命と、これに伴なう資本主義の高度化による生産力の飛躍的な発展により、アメリカ経済は構造的な生産力の過剰状態に突入したのです。こうしたアメリカ経済の状況について、往時のアメリカを代表する経営学者L.C.マーシャル(L.C.Marshall)は、その著書『Business Administration』において<この間の(アメリカ経済の:著者)著しい特質は、生産力の拡大が市場の拡大よりもいっそう速やかであるという事実にある>。と述べ、それまでの生産力重視の時代から、流通重視の時代へとアメリカの経済社会はパラダイム・シフトしたことを指摘しました。このような状況のもとで企業ないし企業家の関心は、生産の合理化から企業の流通過程への介入へと変遷していきました。19世紀末までの企業の経営努力は、生産の合理化にむけられていました。企業が生産の合理化、製造原価の引き下げに成功すれば、市場でのコスト競争において優位に立つことができ、その結果として市場競争に勝つ可能性が高まったからです。企業にとって生産の合理化は、流通課程の合理化に比べ実用的な改革対象としてとらえやすく、また企業施策としても実施しやすいという利点もありました。この時期に労務管理や原価計算などの企業会計上の技術が飛躍的な発展をみたのは、こうした背景によるものです。しかしながら、生産の合理化や企業会計原則の発展による経営管理の高度化は、根本的に生産と消費の市場的な不均衡を解決するものではなく、むしろその増大を促進し、市場問題を激化させる方向に作用したのです。ここに至り、ようやく企業による市場創造の視点が開かれ、その結果企業による流通過程への介入が次第に現実的な課題となっていきました。製造企業による「マーケティング」の視座の登場であります。このような企業による流通過程に関する関心の深化は、それまで流通過程において卸売業者に大きく依存してきた製造企業にとって、新たな経営学的な理論としての体系的な研究=マーケティング論の生誕を要請するに至ったのです。
アーチ・W.ショー(Arch W. Shaw)による流通論の登場は、こうした実務的要請にこたえる学術的成果でした。1911年ハーバード・ビジネス・スクールの講師および評議委員に任命され、経営政策の講座を担当していたアーチ・W.ショーは、1912年に同大学の論文集に発表した流通に関する諸論文を発展充実させ、1915年彼の代表的著作となる『市場流通に関する諸問題/Some Problems in Market Distribution』をハーバード大学出版局から刊行しました。社会科学としてのマーケティングの生誕です。後にメルビン・T.コープランド(Melvin T. Copeland)をはじめ、多くのマーケティングの理論家や実務家によって指摘されているとおり、アーチ・W.ショーはマーケティング研究に対する体系的アプローチを行なった最初の人物でした。アーチ・W.ショーは多様化する流通活動を体系的に把握し、さらにその合理化のための方法論を確立しようと試みたのです。〈流通問題をより体系的に処理することは企業家にとってその事業の成功につながる一方、より良い流通機構は社会にとって巨大な年々の浪費を防ぐことになる/アーチ・W.ショー『市場流通に関する諸問題』〉という彼の主張は、後に個別企業の経営論理としての有効性が追求されるマーケティングの枠組みを超える社会的視野をもっていました。そして、何よりも重要なことはアーチ・W.ショーが「消費者」と「競争」とを統合的に理論体系に組み込もうとした点にあります。それまで実務上または経済学上問題にされなかった「消費者のニーズ」、人間の欲望の問題をマーケティングの理論上の問題として彼は検討することを試みたのです。そして競争に関して、すでに現代のマーケティングにおける独占的競争の概念を、マーケティングが創出しようとする「競争状況」として想定していたのです。古典経済学がバーナード・マンデヴィル(Bernard Mandevill)の『蜂の寓話』を導きとして、人間の欲望の肯定から出発し、市場経済を構想したように、マーケティングは人間の欲望と企業の独占的志向を統合的に理論化することにより、個別市場を構想しようとするものであることに、このマーケティングの創始者は気づいていたのです。後年の研究者はこうしたアーチ・W.ショーのスタンスを、彼の理論の矛盾と限界として批判的にとらえることが多ようです。しかし、それは成熟し、巨大化する資本主義の思潮の中で、マーケティング自体が生まれもった矛盾であったのです。そしてそれは時代の先駆者としてのアーチ・W.ショーにおける新しい認識、資本主義が一般的に浸透した結果、資本主義の発展そのものが自己の市場を創出するという条件は急速に消滅しつつあるという自覚に裏打ちされるものでした。石油と電力をはじめとする近代科学の種々の資産がもたらす生産力の発展は、途方もなく大きなものとして時代のパラダイムを転換しつつあったのです。〈われわれが生産効率の可能性のほんの入口にいるのに、これまで達成された進歩が現在の流通システムを追い越してしまった。われわれの生産可能性が十分利用されるためには、流通問題が解決されなければならない。潜在的に入手できる財貨のために市場が見つけだされなければならない。/『市場流通に関する諸問題』〉というアーチ・W.ショーの切実な認識は、社会経済のパラダイム・シフトを自覚する実務家出身の研究者の真摯な独白であったのです。こうして、時代の要請として誕生した新しい社会科学は、アーチ・W.ショーの同時代人であり、P&G社において実務家として活躍し、草創期のマーケティングの学術的研究にも大きな足跡を残した、ラルフ・S.バトラー(Ralph S. Butler)により「マーケティング Marketing」と命名されたのでした。それは現在からおよそ100年前のことでありました。
私たちはすでにマーケティングの生誕について概観しました。100年に及ぶマーケティングの歴史を跡付けると、それは大きく流通問題としてのマーケティングとマネジリアル・マーケティングと呼ばれる企業経営の戦略としてのマーケティングに二分されます。前者を高圧的マーケティング、後者を消費者主権のマーケティングと考える分類もあります。前者においては企業が消費者のニーズを操作・誘導できるという前提に立ってマーケティングが構成され、後者においては「市場のことは消費者に聞け」という考え方に基づき、消費者のニーズや欲望に適応することがマーケティングの中心的課題として語られてきたからです。そしてその間、マーケティングは様々に定義されてきたのでした。企業の視点から見るならば、マーケティングは市場環境に対する、企業の創造的な適応活動であるといえるでしょう。「創造的適応(Creative Adaptation)」とはマネジリアル・マーケティングの始祖とされているJ.A.ハワード(J.A.Howard)の言葉です。マーケティングとはまさに企業の市場に対するCreative Adaptationであると考えることがでます。そしてマーケティングのパイオニアであるアーチ・W.ショー(Arch W. Shaw)のマーケティング理論は一貫して企業家の視点から構成されていました。すでに述べた通り、ショーの<われわれが生産効率の可能性のほんの入口にいるのに、これまで達成された進歩が現在の流通システムを追い越してしまった。われわれの生産可能性が十分利用されるためには、流通問題が解決されなければならない。潜在的に入手できる財貨のために市場が見つけだされなければならない。/ショー『市場流通に関する諸問題』>という問題意識は、そのまま彼に求められた研究課題であったのです。それはまさに、消費財製造企業の流通活動の現状とその問題点の解決。多様化する流通問題を体系的に把握し、その合理化のための方法論を明らかにすることでした。当時の企業活動に関する問題意識は科学的方法論の導入による生産活動の効率化を成功体験として、これを流通活動にも適用していこうというものでした。いわゆるTask management(課業管理)の販売活動への適用です。しかし、ショーの問題意識はこうした、科学的方法論の導入による生産活動の効率化を成功体験として、これを流通活動にも適用していこうとする発想からすでに脱却し、多様化しつつある流通活動を体系的にとらえるというマーケティング的発想に立ち至っていたのです。それはショーによる「流通問題をより体系的に処理することは企業家にとってその事業の成功につながる一方、より良い流通機構は社会にとって巨大な年々の浪費を防ぐことにつながる」という主張に見られるように、彼が既に社会経済的なマーケティングの視座をもっていたことを示すものです。このようなショーの社会的な視座は後にラルフ・F.ブレイヤー(Ralph F. Breyer)による制度主義的なマーケティングに影響をあたえるものでした。ショーがこの時点でソースティン・B.ヴェブレン(T.B.Veblen)の経済学に接していた可能性は小さくありません。むしろ、時代的な背景から何らかの形でヴェブレンやコモンズ(J.R.Commons)、ミッチェル(W.C.Mitchell)等の制度主義的経済学者たちの著作の影響を受けるか、もしくは時代的な雰囲気の中にあったということは充分考えうることです。また、ショーの研究には、今日における総合的な競争戦略の視点は直接的には見られませんが、製品差別化や価格政策の分析などにおいて彼が想定している競争構造は、今日における独占的競争の概念に通じるものがあると考えられます。このような市場構造に関するショーの深い認識に基づく企業のマーケティング活動の体系化と把握は、市場環境に対する企業の積極的な適応活動をはじめて理論的に把握すると共に、社会経済的な問題としての流通機能と独占的競争の問題を萌芽的にとらえた、マクロ的構造をもつものでした。彼は各企業の流通活動の効率化が社会的な無駄を排除し、さらには社会的な流通問題の解決につながることを期待しています。もちろん個別企業の流通の効率化による総和が、必ずしも社会的な成果と一致するわけではありませんが、流通の制度資本化がより良い市場の発展につながる可能性をショーは信じていたのではないだろうかとわたしは思います。その後のマーケティング研究の歴史において、ショーの統合的な視点は後退し、研究対象は細分化されていきました。社会経済的なマーケティングにおいても、ショーの問題意識は中間商人の機能分析に特化されていったのです。しばしば、はじめにある終わりという不思議な現象が存在しますが、マーケティングのパイオニアであると考えられるアーチ・W.ショーの問題意識の中には、その歴史的限界は明らかであるにしても、後世に対して問いかける統合的な課題が含まれていたといえるのです。そしてそれは100年にわたる学説史の暗闇をくぐりぬけて、今、20世紀のマテリアルなマーケティングの限界と、その限界を超えていく指標を提起して止まないのです。
メルビン・T.コープランド(Melvin T. Copeland)はアーチ・W.ショー、ラルフ・S.バトラー(Ralph S. Butler)、やフレッド・E.クラーク(Fred E. Clark)などと共に、草創期のマーケティング研究に大きな功績を残した先駆的研究者の一人です。コープランドの理論の特徴は、消費者の購買慣習や購買行動に着目した点にありました。後にマーケティング研究および実務において重要な位置を占めることになる消費者行動分析の分野における本格的な研究はコープランドによって始められたのです。コープランドは、まず彼の理論の枠組みとして、従来ばらばらに規定されてきた販売活動を「マーチャンダイジング」という概念に統合しました。コープランドの規定する「マーチャンダイジング」は現代におけるマーケティングの基本的な要件を包含しています。コープランドは彼の代表的著作である『マーチャンダイジングの原理』(未邦訳)において、マーチャンダイジングを以下のように規定しています。
1 製品に対する魅力的な概観の付与
2 広告による消費者の購買動機の強化および喚起
3 卸売・小売業者の協力の確保
4 包括的で一貫した製品流通計画の作成と執行
これらの規定は現在においては販売促進の構成要素です。コープランドは当時の販売が包括的な販売計画や販売促進計画に基づいて行なわれることなく、それぞれの場面においてばらばらに実施されている非効率性を是正し、さらに消費者の購買慣習に添った販売活動を展開することにより、より大きな販売効果を挙げ得ることを示唆したのでした。これにより20世紀初頭において生産部門が実現しつつあった大量生産体制に対応した大量販売体制の実現を企図したのです。こうした大量販売のシステムをワークさせるポイントとしてコープランドは、消費財における消費者の購買慣習に基づく商品の分類と販売チャネルの類型化を試みました。コープランドはすでに消費者調査に実務的な先鞭をつけていたC.C.パーリン(C. C. Parin)の最寄品、買回品という消費財の分類をさらに発展させ、最寄品、買回品、専門品の分類方法を確立し、独自の商品分類の視点から大規模製造業におけるチャネル選択の方法論を提起したのです。またコープランドは商品分類の研究の過程で、消費財と生産財の分類の重要性を提起し、マーケティングにおける消費財と生産財の峻別の必要性をはじめて指摘しました。コープランドは消費財における消費者の購買行動と、生産財における購買行動は、消費財におけるそれが全く本能的、恣意的に行なわれるのに対して、生産財におけるそれは、当然のこととして合理的、合目的的に行われることを指摘しています。生産財の購入は個人的満足のために行なわれることはなく、企業目的によって購入されるからです。今日では自明の前提ですが生産財と消費財の購買動機形成の違いを区別することで、消費財における購買動機の形成がより鮮明にとらえられていったのです。コープランドは消費者の購買慣習を分析する中で、販売は購買動機を引起すことによって創造されるという認識を確立し、購買動機の確認の必要性と、その分析調査の重要性を提起し、詳細な購買動機に関する分類を行ないました。こうしたコープランドの消費者の購買慣習、購買動機に基づくマーケティング理論の構築は、その後のマーケティングの発展に大きな影響を与えるものでした。コープランドは消費者のニーズや欲望は競争的な市場において、必ずしも実用的な効用のみで選択されるものではないことに気づいていたのです。むしろ人々の選択の基準は、合理的な実践理性に従った実効的なものであるより、色彩や形態などの情緒的な判断にゆだねられることが多く、必ずしも本来の使用価値への評価に規定されるものばかりではないと考えていました。そして購買行動の促進には、包装やその他の販売促進要素が重要な役割を果たしていることを指摘しています。このような購買動機の形成に関する考察を通して、コープランドは早くもブランドの重要性に注目しています。コープランドはモノそのものの価値のみが購買行動を規定するのではなく、モノを売る仕組みと仕掛けが、またその場で感得される付加的な価値が、実践理性的な効用による購買動機以上に消費者の購買行動を支配していることを重要視していたのです。このようなコープランドの消費者行動論へのアプローチは、その後大きな発展を遂げています。しかし、後の消費者行動論の主軸は、標準的経済学の実践理性的効用論の強い影響を受け、消費者の購買行動は、商品の実践的効用に対して合目的的に発動するという論理の下に異なる方向へ発展していきました。こうした消費者行動分析の考え方は、消費者主権のマーケティングの強い影響を受け、標準的経済学が想定するホモ・エコノミックス同様の経済的合理性によって購買活動を行なうアトム的消費者像を創り出して行ったのです。それはコープランドによって発想された購買動機の調査分析の姿勢とは大きく異なるものでした。コープランドは購買動機調査に当たって、広告を素材とする分析的アプローチを重用しました。なぜなら、消費者の購買動機には非合理的なものが多く、現場調査はしばしば信頼できない場合が多いからだとコープランドは指摘しています。たとえば消費者はある商品をほとんど自分の見栄から購入したとしても、決して見栄でその商品を購入したとは言わないのです。コープランドが採用した広告を媒介とした消費者の購買動機の調査分析が、調査としての完成度の高い方法であったかどうかには疑問が残ります。しかし、今重要なのはコープランドが消費者の購買動機の形成には非合理性が高く、標準的経済学が想定するような実践理性に基づく合目的的な購買動機の形成ではなく、きわめて恣意的な欲望形成によって購買動機が形成されるという洞察力に充ちた立論です。後世の消費者調査に基づく確率と統計のマーケティングの魔術は、コープランドの原初的な購買動機に関する洞察を無視することによって創り出された、合理的あるいは合目的的な実証主義の魔術といえるでしょう。
ロー・オルダーソン(Wroe Alderson)の機能主義的マーケティング管理論は1950年代のアメリカに於ける有力なマーケティング理論であるばかりでなく、1960年代後半のわが国のマーケティンング研究者のみならず、実務界にも多大なる影響を与えました。第二次世界大戦後のアメリカ経済の世界的一人勝ち状態は、アメリカ合衆国に圧倒的な生産力の優位性をもたらしました。その結果林立するアメリカの巨大企業はその隔絶した生産力を背景に市場管理を経営課題の最重点課題ととらえ始めていたのです。大規模な消費財産業の発展は、市場管理の技術を急速に発展させ、企業経営の基本は生産指向から市場志向へと移行していきました。こうした社会経済の流れの中で、統合的なマーケティング理論の構築が社会的にも学術的にも要請されていきました。オルダーソンのマーケティングはこのような時代的潮流を背景に、同様に時代の趨勢に応える形で理論化されていったT・パーソンズ(Talcott Parsons)の社会的機能主義に依拠しながら、形成されていったのです。オルダーソンはパーソンズの機能主義の論理や経済学者チェンバレンの独占的競争理論に依拠したシステム・アプローチにより、マーケティング理論の統合化を図り、その一般理論化を実現しようとしたと考えられます。実務の学から出発したマーケティングは、長らく科学としての体系と一般理論化が不十分であるという批判にさらされてきました。オルダーソンは機能主義の立場にたち「組織的行動体系」をマーケティングの中核概念に据えて、その一般理論化を試みたのです。しかし、オルダーソンの論理構築の過程に於いては、多くのマーケティング上の概念が、パーソンズの機能主義の引用によって説明され、その適用も恣意的であり、彼が目指したマーケティング理論の一般化という試みにはさまざまな矛盾が生じました。たとえば、オルダーソンは彼のマーケティング行動理論として、企業や消費者行動における「組織的行動体系」の論理と、チャネルや全マーケティング過程における企業間の動態的理論を並存させておいて、それでもなお「組織的行動体系」が全体を統合しているかのような概観をつくろったために、本質的に異なる視点からのアプローチにより理論としての矛盾が生じました。結果としてオルダーソンのマーケティング一般理論は「組織的行動体系」によって統合的に理論化されることはなく、理論的体系化としては不完全なものに終わりました。またオルダーソンは彼の採用した機能主義が生態学的システムであることを強調しました。たしかに機能主義の発想や生態学システムの援用はマーケティングを統合的に構成するヒントになったかもしれません。が、しかし、それは血液の循環が経済の再生産的構造の理論化のヒントになったとしても、経済の再生産構造は人の血液循環そのものによって論証できるものではないのと同じで、機能主義や生態学がマーケティング理論の構成に常に有効かつ必要なわけではないのです。むしろあまりにも機能主義にこだわることによる論理的矛盾が、彼のマーケティングの一般理論化の野望を挫いたと批判されることになりました。こうしたアメリカ本国での評価をよそに、オルダーソンのマーケティング理論はわが国おいては1960年代に極めて大きな影響力をもちました。わが国のマーケティングの実務フェーズにおいてオルダーソンがいかに大きな影響力をもったかについて、日本デザインセンターの梶祐輔は、その著書『広告の迷走』のなかで明らかにしています。<ぼくの考えを理解していただくためには、やや唐突だが、一冊の本のことを書か(な)ければならない。それは、ロー・オルダーソンの『マーケティング行動と経営者行為』(石原武政他訳、千倉書房刊)である。このマーケティングの世界の偉大なる古典については、すでに故人になった川上宏氏の、じつに的確な解説がある。まず、その引用をお目にかける。「シカゴのアーウィン社から1957年に出版されたこの本は、チェンバレンの寡占理論や、クレーザーの企業差別化の理論に依拠しつつ、広告を含むマーケティングを、「差別化」を求める経営行為として位置づけた点だけでなく、E・バークの社会生態学や西欧哲学の系譜を取り込んだきわめて知的な文体とともに、それはまさにユニークであった。とくに、均質化した市場、換言すれば価格競争、品質競争がほとんど実体的な意味を失い、「微細な差異」を競う、非価格競争状態の寡占競争下においては、競合とは「差をつける」わずかな一点のニッチ(本来教会などで聖像を安置するくぼみ、ここでは、市場の中の自分が安住できる場所)を発見すること。つまり、凡庸な言葉でいえば、自己をポジショニングすることが企業のマーケティング行動の本質である、とオルダーソンが主張するのを納得したとき、極端にいって、私は自分なりに「マーケティング」というものが見えた、とおもったのであった。あとは、技術論であり、枝葉末節にすぎない、とさえ思われた。/山本明・天野祐吉編『広告を学ぶひとのために』世界思潮社刊」」。あれは60年代の終わりころであったろうか。ぼくは川上宏氏の熱心なすすめによって、この本を読んだ。そして、彼の感動を追体験したのだった。/梶祐輔『広告の迷走』(宣伝会議)>。後に広告界の重鎮となる2人の実務家を魅了したオルダーソンの理論は学界においては、荒川祐吉、田村正紀という日本におけるマーケティングの確立期を先駆的に担った硯学によって主導されていきました。しかし、学者グループと実務家グループのオルダーソンへの着目点は必ずしも同様ではありませんでした。荒川や田村のオルダーソン理論の導入はシステム・アプローチ、あるいは機能主義というマーケティング理論の統合化を目指す概念に基づき、マーケティング理論の一般化を目指すものでありました。企業という主体と企業のコントロールの外にある顧客、流通業者や競争者という環境からなるマーケティング・システムの諸現象は、田村(オルダーソン)においてはまさに自然界と同じようにメカニカルであり、機能的に分析可能であり、そして必然的に進化するものでした。オルダーソンはマーケティングを基本的に経営者行為としての活動であると考えます。マーケティング活動における組織的行動体系として企業、家計、流通経路を規定し、環境との関係においてそれを分析しながら、行為体系を企業経営維持の体系としてとらえるのです。企業がもし所与の条件を正しい認識力と合理的な論理に基づき意思決定を行なうならば、企業は合目的に成長し、そして普遍的なマーケティング環境の構造が生まれる。こうした理論形式の世界では、偶然性とか恣意性の入り込む余地はなく、統合的な理論体系としてマーケティングは常に科学的正当性、一般理論化を達成しうるのです。オルダーソンや田村は当時最新の理論的アプローチとされたシステム的アプローチにより、マーケティング理論の統合を目指したのです。一方、川上宏や梶祐輔をして「目からうろこが落ちた」と驚嘆させたオルダーソンによる差別的優位性のポイントは「一点のニッチ」の発見と存在でした。川上の文脈から類推すると、彼等を感動させたのは、『マーケティング行動と経営者行為』第4章<差別的優位性を求める競争>に関する論述であることが分かります。オルダーソンはこの章で差別的優位性(differential advantage)についてチェンバレンやグレーザーを引用して詳しく論じています。その中で、文脈的には理解できるが川上や梶のいう「一点のニッチ」についてが、どこの部分を指すものか今一つはっきりはしません。いずれにしろ川上と梶の「一点のニッチ」の発見は差別的優位性(differential advantage)に関する企業のマーケティング活動についてのコンテクスト中にあると考えられるし、その意味では彼等の感動は極めてわかりやすいのです。川上宏が「自分なりにマーケティングというものがわかった」と思えたのは、このオルダーソンによる機能主義のマーケティング理論の体系ではありませんでした。川上も梶もむしろそれを差別的優位性としての「わずか一点のニッチ」を発見することととらえたのです。<その企業や商品を位置づける、固有の、たったひとつのポジションを発見することによって「差別化」を明確にするという方法は、消費者を納得させ、共感させるものだった。〜中略〜オルダーソンは、それが企業のマーケティング行動の本質であるといったが、ぼくには、それは広告クリエイティブの本質でもあるように思われた/梶『広告の迷走』>。という梶の告白が明白にそれを物語っています。川上や梶が活躍していたわが国における限りなく右肩上がりの高度成長社会の時代にあっては、「一点のニッチ」がもたらす『差別化の誘惑』は極めて魅惑的な、オルダーソンとは異なった床の上で見る共通の幻想であったと想像されます。しかし、現代の資本主義が直面する不均等的発展と市場の閉塞的な構造の中では、オルダーソンの機能主義や生態学的アプローチはすでに現実の社会経済を説明し得るものではなく、そして数々の広告の名作を生んだ梶の真摯な告白の書の題名も『広告の迷走』と名づけられたのです。オルダーソンが依拠したパーソンズの機能主義は、アメリカ社会学の経験主義偏重を批判しながらも、第二次世界大戦後のアメリカの社会と経済の繁栄を背景に、その持続を主眼とする均衡概念を中心とした秩序形成を目指すものでした。その意味でパーソンズの理論体系は現状維持の論理たったのです。消費者の自由な選択に対する品揃え形成の連鎖が生産活動に及び、企業の革新の受容と物質的基盤の拡大が達成されるというオルダーソンの主張は、1960年代の資本主義的な不均衡に苦しみ始めていたアメリカ合衆国においては、すでに時代錯誤的な論理となっていったのです。
わが国におけるマーケティング実務において、最も大きな影響力をもってきたのが消費者行動分析のマーケティングとマネジリアル・マーケティングです。わが国においては、ともに消費者主権のマーケティングに立脚するもので「プロダクト・アウトからマーケット・インへ」という箴言はマーケティングを志す者の忘れてはならないコンテクストであったのです。企業では膨大な消費者調査費が計上され、無数の市場調査、消費者調査が実施されてきました。それは「つくるものを売るのではなく、売れるものをつくる」というマーケティングの基本命題に根ざすものであり、マーケティングは企業経営の根幹となりつつありました。そしてなによりも重要であったのは科学としてのマーケティングの位置付けと、実証主義の精神です。マネジリアル・マーケティングは1957年に上梓されたJ・A・ハワードの『マーケティング・マネージメント 〜分析と意思決定』にはじまるといわれています。同書においてハワードはマーケティングを販売の広範な問題を取り扱う経営管理の一分野であると規定しました。1950年代の後半に入りアメリカ合衆国において企業経営者の視点からのマーケティングに関する経営的なアプローチが重要視されるようになり、マーケティング研究者の関心もこの方向に収斂しはじめていたのです。そうした中でハワードがマーケティングという企業行動を市場に対する<創造的適応(Creative Adaptation)>であると定義づけたことは画期的でありました。そしてハワードはマーケティング・マネージャーの管理要件として「価格」「広告とその他の販売促進」「販売管理」「製造すべき製品の種類」および「使用すべきマーケティング・チャネル」の5つの要素を規定し、その意思決定を責任範囲としたのです。そしてハワードはマーケティング・マネージャーがこれらの5つの項目について意思決定を行なう為に考慮すべき5つの要素として「競争」「需要」「関係法規」「流通」「非マーケティング・コスト」を挙げていいます。このハワードのマネジリアル・マーケティングの枠組みを発展的に継承したのがE.J.マッカーシーです。マッカーシーはその主著である「ベーシック・マーケティング」の中で、マーケティング・マネージメントの構成に当たる主要な要素を「製品=Product」「場所(流通チャネル)=Place」「販売促進=Promotion」「価格=Price」の4つとし、マーケティング・ミックスの要素として規定し直しました。マーケティング史に残る「4P」の登場です。そしてマッカーシーは消費者志向、消費者主権のマーケティングの方向性を明らかにしていったのです。こうしたマネジリアル・マーケティングの理論はやがてE.J.マッカーシーの僚友でもあったフィリップ・コトラー(Philip Kotler)によって継承・発展し大成されました。
コトラーは今日においてもE.J.マッカーシーの業績を高く評価し次のようにインタビューに答えています。「ジェリー・マッカーシーの本が当時(1960年代後半)一番人気がありました。『ベーシック・マーケティング』という本でした。ジェリーは4Pの枠組みを導入していました。彼は製品、価格、流通、プロモーションについて話をしたリチャード・クルーウェット教授についてケロッグ大学院で研究をしていました。ジェリーは「流通」を「流通チャネル」に名前を変えました。他の大部分の本に多く書かれていたのは、流通経路、販売力、価格と広告でしたが、ジェリーは役に立つ枠組みを提供しました」(『マーケティングをつくった人々』)。
フィリップ・コトラーはノースウェスタン大学のケロッグ経営大学院を拠点に精力的な研究・著述活動を展開したため、ノースウェスタン大学のケロッグ経営大学院はマーケティング学のメッカであるがごとき様相を呈して久しく、わが国からも多くの留学生が学んでいます。コトラーのマーケティング理論における功績は一言でいえば「販売とマーケティングは異なる」ことを明快に説明し「市場の機能を明にした」こと、「マーケティングは営利活動だけでなく非営利活動にも有効である」ことを示したことにあるといえるでしょう。コトラーのマーケティング理論の骨子は、本来マーケティングは企業経営の推進的役割、すなわち戦略的な側面を担うものであり、マーケティング部門はリサーチを通じて新たなビジネス・チャンスを発見し、精度の高いマーケットのセグメンテーション、ターゲティング、ポジショニング、すなわちSTPを実施することによって、新たなビジネスの進むべき道筋を明らかにします。そして前述の4P、製品(product)、価格(price)、流通チャネル(place)、プロモーション(promotion)の内容を検討し、4つのPの各要素が互いに矛盾することなく、しかも4P全体として先のSTPと整合するように機能する計画を立案します。計画が決まれば、そのマーケティング計画を実行していきます。マーケターは、その後の経過をモニターし、プラン通りの実績が上がらない場合には、実施の仕方に問題があったのか、マーケティング・ミックスに矛盾があったのか、STPそのものに誤りがあったのか、そもそも市場調査が役立たずだったのかなど、原因を特定していかなければなりません。このようにマーケティングは販売のずっと川上から出発し、販売が実施された以降も継続され、検証・修正を行なっていくマネジメントの体系であるというのです。
コトラーはマーケティングが企業のマネジメント行為であることを実証しました。コトラーがこのマネジメントの視点から一貫して言い続けていることは、企業は対象としている市場と市場セグメントを徹底的な調査分析のうえで選定し、ターゲットを明確化したら、そこにポジショニングを明確化する高品質な価値を提供しなければならないという構図とその手法です。企業におけるマーケティングの要諦は、自らのブランドを基にした顧客との約束を完遂し、顧客のロイヤリティと信頼を獲得し維持していくということです。1970年初頭、コトラーはこうした企業のマーケティング・マネジメントの考え方を拡張した「非営利組織のマーケティング」を世に問いました。コトラーは美術館や劇場、協会や社会福祉団体にとってもマーケティングはその運営に大きく貢献するものであることを指摘したのです。セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニングといういわゆるSTPの理論やマーケティング・マネジメントのコンセプトは、製品やサービスを販売するためだけではなく、非営利的な活動にも重要な役割を果たすと主張したのです。こうした彼のマーケティング思想は美術館や地方の公共団体、病院の経営などにもマーケティングが重要であることを立証していきました。コトラーはこのようにマーケティングを経営の視点から捉え直し、すべての組織のマネジメントをメソッドとして再構成することによって、マーケティングが本来持っていた市場と組織における戦略的側面の重要性を明示していったのです。今日においてコトラーの業績を評価するとき、私はこのようなコトラーの経営戦略的なマーケティングのメソッド化はもとより、それ以上に大きな功績はマーケティング理論に数学を導入し、数学をツールとして活用することによって、マーケティング理論を普遍化することに成功し、マーケティングに科学的な思考の枠組みを導入したことであると考えています。コトラーはマーケティングの分野でのキャリア以前に、経済学や組織論の研究キャリアを積んでいました。コトラーはシカゴ大学でミルトン・フリードマンの薫陶を受けMBAを取得し、マサチューセッツ工科大学では、ポール・サミュエルソンとロバート・ソローの下で数理経済の基礎理論に磨きをかけました。3人のノーベル経済学賞受賞者から経済学のトレーニングを受けたコトラーは1960年代にゲーム理論、Decision trees、マルコフ過程などについての専門家としての基盤を確立していたのです。コトラー自身の言葉で、彼のマーケティング学に関する貢献をまとめれば以下のようになります。「1960年代にはじめてマーケティングの教科書を調べたときのこと、そこには理論がないことがわかり愕然としました。書かれていたのは優秀なセールスマンの特徴を示したリストや倉庫の役割、消費者の人口動態に関する記述、そのほかのいくつかの定義とリストでした。そこに示されていたのは市場の構造であって、市場の機能に関することではありませんでした。私はマーケティングに関する違った視点を提供したくて、1967年に最初の本「マーケティング・マネジメント」を出版しました。この本は、経済学や行動科学、組織論、数学の理論を用いて、市場がどう機能し、マーケティング・ミックスを構成するツールがどう役に立つのかこを示した点がそれまでの教科書と異なっていました」(『マーケティングをつくった人々』)。
このコトラーの貢献により、マーケティングはコトラー以前とは全く異なる経営科学として機能し始めました。コトラー以降のマーケティングでは数論的普遍性を前提とする理論化が重要な課題となり、それによりマーケティングは科学的なメソッドとして機能し始めたのです。
フィリップ・コトラーの登場により、マーケティングは社会科学の一分野としてその科学性を獲得するに至りました。しかしながら、今日に至ってもマーケティングは、社会科学の中で「マーケティング学」としての地位を確立しているとは言いがたい状況です。慶應義塾大学大学院経営管理研究科の井上哲浩教授は、2009年1月7日刊の季刊マーケティング・ジャーナル誌の「巻頭言」で次のように述べています。「筆者は、−略−大学に奉職してきたが、これまでマーケティング関係科目を除くマーケティングそのものとして、『マーケティング論』あるいは『マーケティング・マネジメント』というマーケティング科目を担当した経験はある。自身の経験そして他同業者から聞いた限りでは、『マーケティング学』という名称をほとんど聞いたことがない。〜中略〜先人のマーケティング学者には申し分けないが、『マーケティング』の体系性の完成度や統合度に関しては、他の『学』と比して現時点では優れているとはいえず、『マーケティング論』という名称に甘んじざるを得ない。研究者による切磋琢磨が必要である側面であろう」。厳しい指摘ですが、至言といえるかもしれません。井上教授の一文は、コトラーの登場によりメソッドとしての科学性は獲得したものの、マーケティングが「学」として成立するための独創的な体系性と強靭なる統合性、それを基礎付ける普遍的な理論はいまだ確立していないという指摘のようにも思えます。
この井上教授の『マーケティング学』に関するコメントと類似した日本の『哲学』に関する指摘があります。「いままでの日本の哲学は、だいたい音楽でいうとレコードを聞いて鑑賞する名曲鑑賞家。あるいはそのうち偉い人は、せいぜいベートーヴェンなりバッハなりを演奏するわけだ。日本の哲学者というのは、ヨーロッパの思想を、この酒はうまいとか、おれはこれこれに限るとか、そういう鑑賞家がまずいちばん多いんだ。−中略−鑑賞家かせいぜいつまらぬ最新流行の歌をうたう。そのなかで、とにかく作曲家として、われわれの鑑賞にたえうる作曲を始めたのが西田幾多郎だ。−中略−西田さんが、作曲をやりだしたことは、これは価値があると思うんです」<「西田哲学の意味」田中美智太郎:日本の名著第7巻付録15/中央公論社>。我が国の哲学界において西田幾多郎が特異な存在であるのは、彼が「哲学」という音楽の単なる鑑賞者ではなく、さらには優れた演奏家にもとどまらず、人々の鑑賞に堪えうる作曲者であったからだという指摘は、ギリシャ哲学の祖述家として卓抜した業績を挙げた田中美知太郎の指摘であるだけに説得力があります。井上教授の指摘は、わが国のマーケティングには一人の西田もいないばかりか、「日本のマーケティング学」に限らず、マーケティングという学問そのものについて、それを「学」たなしめた人物がいないという指摘ですから更に厳しいわけです。
私はマーケティングが「体系性の完成度や統合度に関しては、他の『学』と比して現時点では優れているとはいえない」根本的な問題は、マーケティングが「市場の学」としての最も重要な基軸を「消費者の行動」のみに置き、既に見てきたように100年のマーケティング学説史の前半は消費者の操作に、その後半は消費者への隷従(分析・理解)に終始してきたことにあると考えています。マーケティングが「市場の学」としてその体系性と統合性を独創していくためには、消費者の意識や行動そのものではなく、メタレベルでの消費や市場の機能に関する独創的な考察〜それはかつて石原武政元大阪市立大学教授(現関西学院大学教授)が明らかにしようとした、消費者のメタレベルの欲望に共時的に対応する企業の需要創造と市場での機能(競争的使用価値論)のような、独創的な市場科学へのアプローチ〜が必要なのではないかという問題意識です。今日に於いては前出の井上哲浩慶應義塾大学大学院教授の、企業による価値の創出を、マーケティング・コミュニケーションによる消費者の企業や商品ブランドに関する知識構造化とコミュニケーション(テーマとメディア)のソサイアタル性(社会関係性)によって立証しようとする独創的なマーケティングの体系化、統合化の模索に見られるような学問的営為が必要なのではないかと考えるのです。こうした視点は明らかに独創的な体系性と統合性を有するもので、マーケティングを「論」から「学」へと飛翔させるものであると私は考えています。さらに私が考えるマーケティング(学)について、現代マーケティング論を積極的な意味で批判し、さらにはその根幹にある現代の標準的経済学(新古典派的なもの)を批判することによって明らかにしていきたいと思います。
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